アヤコ先生お別れ会(出雲のぞみ教会)

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山形県南陽市宮内から参りました学校法人南陽学園理事長の高岡と申します。平成26年にゼロ歳児から受け入れる宮内認定こども園になりましたが、それまでは宮内幼稚園の名称でした。宮内で講演された賀川豊彦先生の声掛けによって昭和27年に創立以来、67年の歴史を重ねて参りましたが、足立先生ご夫妻は、宮内幼稚園の歴史の半分以上39年間を宮内幼稚園のために御尽力され、今の認定こども園へと続く礎を築かれました。本日は私のほかに、アヤコ先生による薫陶というか、温かくも厳しい指導を受けて今があるという、宮内幼稚園の元先生と現役の先生が3名、アヤコ先生とのお別れのために参っております。

前任の牧師先生は、たしか子どもさんが3人おられる方で、 赴任して一年足らずで、ここでは経済的にとても生活できないということで退任され、しばらく空席であったところへの守先生第4代園長御就任だったと思います。私の7つ下の妹が在園しており、親も父兄として熱心に園に関わっておりましたので、就任以来のお二人のがんばりは子供心にもよくわかります。

昭和30年代から40年代、小学校教師として「授業の神様」と言われた斎藤喜博先生の残した言葉に「教師の仕事ははかない」という言葉があります。幼稚園時代の記憶などは大人になればすっかり忘れてしまいます。私もそうでした。しかし、高校卒業後家を離れ、10年ぶりにふるさとへ戻って間もなく、足立先生から引っ張られて幼稚園にさまざまなかたちで関わるようになったのですが、幼稚園時代の記憶がよみがえるごとに、その当時のことがいかに自分の基礎を形づくっているか、まざまざと思わされるのでした。それを思うにつけ、アヤコ先生が宮内に育った人たちにどれだけ甚大な影響 を及ぼしたことかを思わされます。
いま宮内小学校の在籍数は346名、これは明治20年のレベルです。宮内はこのあと製糸業に よって隆盛を極め、小学生が2000名を超す時代もありました。宮内はいま、明治20年の頃と同じような胎動の時代と思っています。足立先生ご夫妻の下で薫陶を受けた宮内幼稚園の卒園生は、まさにいま宮内の中核を担う人材になっています。その人材のがんばりが、宮内の新たな時代を切り拓いてくれるはずです。宮内に残る人たちだけではありません。スタンフォード大学の経済学の教授で東京財団理事長を務める星岳雄君はじめ、国の内外で活躍する多くの宮内幼稚 園の卒園生がいます。その同窓生にとって、アヤコ先生はきっと忘れられない先生です。そうした人たちの思いを背負って、私は今この場に立っています。
最後まで守先生の篤い介護のもと生涯を閉じられたアヤコ先生、幸せだったにちがいないと思いました。さらなる御冥福をお祈りしたいと思います。
アヤコ先生ほんとうにありがとうございました。
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