「置賜発アジア主義」(6)雲井龍雄と内村鑑三
雲井龍雄と内村鑑三

その内村が雲井龍雄を評価する文章を書いています。友田昌宏氏の著で知りました。
《内村鑑三は「萬朝報」(明治30年4月20日) の社説で、「起てよ佐幕の士」と題して「諸士に賊名を負はせ、諸士の近親を屠り、諸士をして三十年の長き、憂苦措く能はざらしめたる薩長の族ハ今や日本国民 を自利の要具に供しつゝあるに非ずや、若し雲井龍雄をして今日尚ほ在らしめバ彼等ハ何の面ありてか此清士に対するを得ん」と雲井を引き合いに出しつつ薩長藩閥の専制を批判し、「嗚呼諸士の蒙りし賊名を洗ひ去るハ今なり、諸士何ぞ起たざる」と「佐幕の士」に呼ぴかけた。彼らは内村の呼び掛けを待つまでもな く、このような思いをより深く胸に刻み付け、自由民権運動に邁進していたのである。》(友田昌宏「雲井龍雄と米沢の民権家たち――精神の継承をめぐって」『東北の近代と自由民権―「白河以北」を越えて』所収)
雲井龍雄は自由民権運動の中に甦ったのです。
雲井龍雄は版籍奉還反対の急先鋒でした。友田氏は龍雄の言い分をこう記します。
《封建体制が今日まで続いたのはそれなりの理由があってのことである。全国の諸侯が現在の版図に封ぜられ、位階を保持しているのは、一朝一夕のことではな く、・・・どんな愚鈍な藩主といえども、その土地と民を愛し、祖先の衣鉢を継いでその功績をおしひろげようとしないものはない。そして、家臣や領民もまた、そのような主君を慕っている。天皇家が万世一系、今日まで続いているのは、統治の一切をかかる武家に任せていたからである。もし君臣を引き裂き、諸侯 をほかの土地に移そうものなら身を擲って義に尽くすものはいなくなるだろう。薩摩藩は郡県論でもって私心を覆い隠そうとしているだけだ》(同右)
まさに内村の思いに呼応します。龍雄のバックボーンは三計塾の師安井息軒(1799-1866)の教えであり、それを裏付ける米沢藩の伝統、とりわけ鷹山公の存在です。安井息軒は天保13年(1842)に米沢を訪れ直江公、鷹山公の業績に接し『読書余適』にその感動を記しています。このことから「直江公→鷹山公→安井息軒→雲井龍雄→内村鑑三」という系譜に思い到りました。そして、内村が『代表的日本人』を書いた時(明治27年刊)、内村の胸には雲井龍雄が躍っていたにちがいない、そう思えたのでした。
《封建体制が今日まで続いたのはそれなりの理由があってのことである。全国の諸侯が現在の版図に封ぜられ、位階を保持しているのは、一朝一夕のことではな く、・・・どんな愚鈍な藩主といえども、その土地と民を愛し、祖先の衣鉢を継いでその功績をおしひろげようとしないものはない。そして、家臣や領民もまた、そのような主君を慕っている。天皇家が万世一系、今日まで続いているのは、統治の一切をかかる武家に任せていたからである。もし君臣を引き裂き、諸侯 をほかの土地に移そうものなら身を擲って義に尽くすものはいなくなるだろう。薩摩藩は郡県論でもって私心を覆い隠そうとしているだけだ》(同右)



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1938年にイギリスで発行され、2001年に日本語訳が出た『シナ大陸の真相―1931‐1938』があることをいま知りました。下記評価がありました。 軍事評論家=佐藤守のブログ日記です。
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私は今、「大東亜戦争の真実を求めて」手当たり次第に各種の著書を乱読しているが、現在目を通している「シナ大陸の真相 (1931~1938)=K・カール・カワカミ著」は実に示唆に富んでいる。ラルフ・タウンゼントや、ジェームズ・R・リリーらの著書も素晴らしいが、問題はこのような大陸情報満載の書籍が、当時のわが国でどのように評価されていたのか?という点である。
「シナ大陸の真相」に至っては「昭和12年の暮れから13年の春にかけて、わが日本はその8年後の昭和20年8月に襲いかかることになる悲劇的な運命の最初の刻印を深くその身に打ちこまれることになるのだが、カワカミの観察はちょうどその転換期の時点に至ったところで筆を擱いている」と小堀教授が書いているように、この書は古森義久氏が『嵐に書く――日米の半世紀を生きたジャーナリストの記録(毎日新聞社・昭和62年)』という河上清評伝を入手した小堀教授が、福井雄三氏に翻訳を頼んで、平成13年に刊行されたものであって、全く戦中の情報としては生かされていなかったものである。
この書は当時ロンドンのジョン・マレイ社から出版されていたのだが、当時の在英日本人の目には留まらなかったのであろう。言うまでもなく英国は、007に代表されるような情報王国である。現在でもかなりの高度な各種情報は英国が握っているとみて差し支えない。
本書にある「コミンテルンの暗躍ぶりと、スターリン、毛沢東、そして蒋介石とのつながりを知っていれば、西安事件の影響は十分に理解でき、盧溝橋事件に引き込まれなくて済んだはずだ」というのが私の感想である。
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私は今、「大東亜戦争の真実を求めて」手当たり次第に各種の著書を乱読しているが、現在目を通している「シナ大陸の真相 (1931~1938)=K・カール・カワカミ著」は実に示唆に富んでいる。ラルフ・タウンゼントや、ジェームズ・R・リリーらの著書も素晴らしいが、問題はこのような大陸情報満載の書籍が、当時のわが国でどのように評価されていたのか?という点である。
「シナ大陸の真相」に至っては「昭和12年の暮れから13年の春にかけて、わが日本はその8年後の昭和20年8月に襲いかかることになる悲劇的な運命の最初の刻印を深くその身に打ちこまれることになるのだが、カワカミの観察はちょうどその転換期の時点に至ったところで筆を擱いている」と小堀教授が書いているように、この書は古森義久氏が『嵐に書く――日米の半世紀を生きたジャーナリストの記録(毎日新聞社・昭和62年)』という河上清評伝を入手した小堀教授が、福井雄三氏に翻訳を頼んで、平成13年に刊行されたものであって、全く戦中の情報としては生かされていなかったものである。
この書は当時ロンドンのジョン・マレイ社から出版されていたのだが、当時の在英日本人の目には留まらなかったのであろう。言うまでもなく英国は、007に代表されるような情報王国である。現在でもかなりの高度な各種情報は英国が握っているとみて差し支えない。
本書にある「コミンテルンの暗躍ぶりと、スターリン、毛沢東、そして蒋介石とのつながりを知っていれば、西安事件の影響は十分に理解でき、盧溝橋事件に引き込まれなくて済んだはずだ」というのが私の感想である。
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