手島郁郎「日本よ、永遠なれ」上映会

私がキリストの幕屋を知ったのは、信頼を置く当時M興業社長であったNさんから「日本を本気で考えるいい団体がある」ということで『生命乃光』を手渡されたことによってだった。この団体についてはイスラエルとの関わりからいろいろ取沙汰されることもあったが、とことん善意の集団であることはまちがいない。安心できる人たちばかりと言っていい。そのまじめさ、真剣さは、今どき群を抜く。その団体の創始者手島郁郎という人のドキュメンタリーということでぜひ行ってみたい。原始福音を説く手島からイエスの実像が見えてくるかもしれない。
学校法人南陽学園の前理事長で宮内教会の長老粟野治夫さん(昭和12年生)が、手島郁郎さんが写る貴重な写真を持っておられた。粟野さんは武蔵野農民福音学校を経て、大阪で働きながらその系列の学校で学んだ。昭和35年か36年の11月、高野山大学で開かれたキリストの幕屋の集会に参加した時のものという。このたびの上映会、奥さんと一緒に参加されるとのこと。
【追記 7/6 16:30】
Yさんから毎月送っていただく『生命之光』、さっき何気なく7月号を開いたら「賀川豊彦先生」とあって驚きました。粟野さんは、賀川先生の宮内講演会当時(1951)日曜学校に通う中学生。街頭に立って講演会への誘導を手伝ったそうです。そうした縁で高校卒業後農民福音学校へ。賀川先生と一緒の写真、賀川先生からのハガキを大切に持っておられます。以下、『生命之光』巻頭講話(1973.11.18 東京・全国町村会館)、賀川先生の思い出の部分です。
* * * * *
信仰にとって大事なことは、燃ゆる心をもつことです。私は大正時代に若い時を過ごして、ほんとうにいい先生たちにお会いしたことでした。
救世軍の山室軍平先生は優しい静かなお方でした。握手をしますと、温かい感触が移ってきます。しかし、その胸には静かな炎が燃えておりました。
若い頃の賀川豊彦先生がそうでした。まだ四十お幾つだった先生は、労働服をお召しになってみすぼらしい姿でした。しかし、壇上に立って語る時には、烈火の ごとくに福音を説きました。それに私は打たれた。私は学生の頃から、賀川先生の雑誌『雲の桂』の読者でしたが、先生はある講演会の時、私のような者をも覚 えて、「ああ、君ですか」と言って握手してくださった。その手の温かみは、一週間消えませんでした。
この記事へのコメント
懐かしさと、不思議なえにしを感じながら読ませていただきました。